操り人形劇
シチリアの操り人形
アチレアーレ最初の操り人形劇は記録によると、1870年のことである。 カターニアの有名な操り人形師・アンジェロを父に持つ、ジョバンニ・グラッソ自身の宣伝をかねてアチレアーレにやって来たのがはじまりだといわれているが、人形の操作技術や舞台に改良を加え、アチレアーレの伝統的操り人形劇にもっとも深く影響を与えたのは、ドン・マリアン・ペンニーシ(1867-1934)であった。「ナスカ」の通称で呼ばれた彼は最初、トリノ通りに操り人形劇場を築き上げ、その後、アレッシ通りに、現存する劇場を築き上げた。この偉大な操り人形師の操り人形劇に対する情熱は、彼の養子エマヌエーレ・マクリーに引き継がれていった。 公演が行われるごとに、活気に満ちた舞台上での天才的でマルチな即興は、観客を絶賛させている。
操り人形劇